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「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」翁(芭蕉)
江戸時代後期、中田町の俳壇の有志は盛んに句会を催し交流していた。安政四年六月、万年寺で松尾芭蕉追慕の供養が営まれ、これを記念して中田俳壇を率いていた高桑甫草(ほそう)が中心となって句碑が建立された。碑面の「あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風」は、芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、金沢から小松に行く途中、残暑の中で無情の秋風を感じて詠まれた名句である。文字は、金沢の俳人で能書家であった大橋卓丈筆と伝えられている。裏面には「安政四年夏」と刻まれていた。この度の再興により、台座中央には大津の義仲寺の芭蕉の墓の下から持ってきた砂を納めた小壷が埋められていることが確認されたため、句碑だけでなく全国の1000基近くある芭蕉塚に新たに一基追加されたことになる。 かような芭蕉塚が中田町にあることは、江戸時代の街の庶民の文化と経済の繁栄を証するものであり、地元の誇りである。句碑を伴った芭蕉塚は万年寺(曹洞宗・戸出永安寺の末寺)の建立跡地に当時のままの姿で再興された。
高岡市上麻生地内の中田橋を渡り切った庄川右岸に、「雄神川くれない匂う乙女らし葦附とると瀬に立たすらし」と、越中の国守大伴家持の歌に詠まれている。中田いきものの里公園に建立されている。